'70 アテンションプリーズ研究
ロケ地 探訪
〜鹿児島編2〜
それでは鹿児島編の重要な舞台となった「旅館 白雲荘」についてリポートしたい。
美咲洋子の母の実家である白雲荘。
番組のテロップには「協力 鹿児島県観光連盟 白雲荘」と出ているが
白雲荘はすでに無く、ネットで検索してもヒットゼロ。存在していた場所さえも不明である・・・
鹿児島ロケの主要舞台が紹介出来ないようでは研究サイトとしては失格。
さあ、どうするか。
ロケ地探しのコツは映像に映っている背景を念入りに分析することではないだろうか。
電柱に貼ってある広告や住所、僅かなものでもヒントとなる可能性がある。
何せドラマは38年前、風景も変化し、当時の面影がまったくない場所もある。
今回ヒントになったのは第11回放送の終わり近く、白雲荘の家族全員が洋子を見送るシーン。
洋子のいとこであるアキラさんの背後にガソリンスタンドが写っている。
ガソリンスタンドは普通は大通りにある。白雲荘からは川と桜島が見える。
大通りと川に挟まれた場所・・・
これらをヒントに地図、航空写真などを調べてみたところ、白雲荘がかつて存在していた場所を発見!
第10回放送で洋子の乗ったタクシーが白雲荘に到着するシーン、
白雲荘入り口の右隣に商店らしき建物が映っている。
この商店が現存、お店のおばさんに白雲荘のことを聞いてみた。
「それだったら○○さんを訪ねたらいいですよ」
跡地のみしか紹介出来ないかと諦めていたところ、事態は急展開。
白雲荘を経営していた方のご子息とお会いすることができ、様々なお話を聞かせて頂いた。
白雲荘は旅館だとばかり思っていたのだがこれが大間違い。
お話をお聞かせ下さったのは山下家10代目当主の山下皓三氏である。
白雲荘は先に紹介した「仙巌園」の島津本邸、「重富荘」の島津別邸と同じく、
歴史的建造物で当初は武家屋敷として建てられたそうだ。
西南戦争の際には官軍の本拠地としても使われたことがあった。
戦後、空襲などの被害を受けなかったために旅館として営業を始めたとのこと。
飛行機などまだ贅沢で移動手段が国鉄しかなかったような時代、
西鹿児島駅から歩いて10分程度の距離にある白雲荘は高級旅館として
さぞ賑わっていたに違いない。
旅館白雲荘は昭和53年に営業をやめてしまったが、歴史的建造物であることから
その母屋の一部を移築、どこに移築されたのかと訪ねると同じ敷地内にあるという。
移築、保存に大変な費用がかかっていることは容易に予測できる。
外からだけでも写真が撮れればとお願いをしたところ、今回は特別に内部を見させて頂いた。
白雲荘がアテンションプリーズのロケ地として選ばれたのは
歴史的建造物で有名な旅館があるということを地元 鹿児島のテレビ局、
南日本放送(MBC)がアテンションプリーズのプロデューサーに紹介したことによるそうだ。
昭和45年10月25日・11月1日放送分にあたる鹿児島ロケが行われたのは昭和45年8月。
スタッフ・出演者により貸し切り、約1週間に渡って撮影が行われた。
もちろんスタッフ・出演者も白雲荘に宿泊していた。
当時は学生だった現当主の山下皓三氏のお話によると、まずスタッフの多さと大掛かりな撮影に
驚かされたとのこと。
現代のドラマはビデオカメラでビデオテープを回すが、アテンションプリーズは
映画と同じフィルムでの収録である。シビアな照明も要求されることから
ひとつのカットを撮るのに非常に時間がかかったはず。
叔父、叔母、春子、明の白雲荘の家族役は先行して撮影を開始、
主役の紀比呂子と父役の藤田進は後から鹿児島に来て、撮影が終わるとすぐに東京に戻った。
白雲荘の叔父や叔母、春子ちゃんだけの出演シーンや鹿児島の風景などは先に撮影を始めておき、
主役の紀比呂子と父役の藤田進の到着を待ってそれぞれが絡むシーンを撮る、
という撮影スタイルだったと予測できる。
紀比呂子を間近で見た山下氏は「ホクロが印象的で可愛かった」と当時のことを語ってくれた。
白雲荘の中で忙しく動き回るスタッフや紀比呂子、藤田進を観ながら、
とにかく撮影というものがこれほどまでに大変なものかと驚くばかりだったという。
・父が倒れて寝ている部屋を美咲洋子が訪ねる。なぜ来たと怒る父。
・部屋から見える桜島を眺めながらスチュワーデスをやめるべきか悩む美咲洋子。
・スチュワーデスのいとこを友人に紹介したいと洋子にせがむ春子ちゃん。
いずれのシーンも窓から桜島と甲突川が見える部屋で撮影されている。
最も眺望が良いことからこの部屋が選ばれたとのこと。
白雲荘の中2階のさらに上、下の画像で最も高い部分が3階にあたる。
2008.11.7