'70 アテンションプリーズ研究



ロケ地 探訪

〜榊原やよいの実家編〜




第16回の放送。

座学や緊急脱出など地上での訓練を終えた101期生18名は見習い乗務へと移る。

これは実際の便に乗務し、今まで学んだ事を実際に行う訓練。

編成外なので「訓練生」のバッジを付けるが乗客から見ればスチュワーデスに変わりなく、

初フライトは緊張の連続であると言う。




B727



101期生の見習い乗務初フライトは国内線。

訓練所廊下にスケジュールが貼り出され、集まってくる訓練生たち。

101期生のトップである香川妙子(皆川妙子)は札幌便。

他の訓練生たちも大阪、福岡などスケジュールが入っている。

100期生で落第し101期生となった田村早苗(范文雀)も見習い乗務に進むことが出来た。

しかし美咲洋子(紀比呂子)と榊原やよい(麻衣ルリ子)の二人だけはスケジュールが空欄。

つまりは落第。地上訓練のやり直し、見習い乗務へ進めない。



ガッカリしている二人の前に香川妙子と南啓子(黒沢のり子)がやってくる。

「心ばかりじゃダメよ。やっぱり実力ね」とダメ押しの一言。

ヘコむ二人はいつもの訓練所屋上へ。激しく泣きじゃくる榊原やよい。

「予備訓練もビリだった。あなたよりもっとできないのが いるのよ。」

と自分を指差しながら、榊原やよいをなぐさめる美咲洋子。

「見習い乗務でみんなと一緒に乗れないからと言ってスチュワーデスになれない訳じゃないのよ」

「私はやるわ。石にかじりついてもやる。人より遅れても立派なスチュワーデスになるために」

そう自分にも言い聞かせつつ、美咲洋子も涙するのであった。



現在はOJT(オージェイティー)、On The Job trainingと呼ばれているこの見習い乗務。

OJTに進めず落第というケースはほとんどない。

よほどの問題を抱えていない限りはOJTも4日程度で終えて訓練所を卒業というのが普通。

入社教育→地上訓練→OJT→卒業という流れである。

編成に入って実際にデビューするまでは約1か月半から2か月。

昔と比較すれば訓練の時間は大幅に短縮されている。

では1970年当時は実際どうであったか。訓練期間は下記の通りだった。


   入社教育         11日

   予備訓練         69日

   第一回専門訓練      61日

   見習い乗務        21日

   第二回専門訓練       3日


地上訓練→国内線見習い乗務→地上訓練→国際線見習い乗務→地上訓練→卒業という流れ。

訓練時間724時間・期間175日、約6か月。

訓練時間は現在の3倍という膨大な量。

予備訓練は英語の授業。帰国子女など英語が最初から喋れる者は予備訓練は10日間だけとなる。

1970年当時は今より遥かに訓練の量が多く、審査も厳しかったので

落第する訓練生も実際にいた訳である。



スチュワーデスは良家の子女や優秀な学生が集まり、そのうえ接客、英語、非常時の対応など

内容が濃く厳しい訓練が行われていた。

現在のCAと比較すれば この当時のスチュワーデスの質は非常に高かったといえる。




訓練所教室での座学。1970年



見習い乗務に進めず、英語やアナウンスの訓練を続ける二人。

そんなある日、私の家に遊びに来ない?と榊原やよいが美咲洋子を誘う。

画面は山手線が走るシーンへと切り替わる。



榊原やよいの実家はそば屋。

今回はこの榊原やよいの実家を探しに行った。そばやの入り口と店の外観のシーンはあるのだが

周囲の風景が映っていないので、どこだか推測もつかない。

先の山手線は東京駅か有楽町、新橋あたりを走行している。

隣にも商店があり、歩道が整備されていて綺麗・・・

んー、これではまったくわからない。

画面を何回も観ていると蕎麦屋の名前は無いものの、のれんの電話番号らしきものに気づいた。


 「三三六一 三」


唯一のヒントはこの3361 3。最初は何やら不明だったがよく観察してみると

代表3361から3番と読み取れる。しかし市内局番がわからない。

昭和45年当時は電話の普及率はまだ高くなかったと思う。

そんな時代に電話回線を3本も持っているということは繁盛店か老舗であろうと推測。

山手線が走行していた東京駅に近いあたりの蕎麦屋と言っても山ほどあり・・・

捜索は不可能かと思われた。

千代田区、中央区あたりに絞って電話番号が「3361」の蕎麦屋を調べてみる。

すると該当するのは一軒だけ、それは神田神保町の老舗であった。

さっそく現地へと向かう。

さて榊原やよいの実家は見つかるか!?




神田神保町界隈  画像をクリック





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2010.4.1