'70 アテンションプリーズ研究



1970年(昭和45年)時代背景

〜テレビ〜








昭和45年8月23日に放送が開始されたアテンションプリーズ。

この頃の番組は単独スポンサーが主流だった。

アテンションプリーズの提供は不二家で

ゴールデンタイムである日曜7陣30分から8時までの時間帯は

「不二家の時間」として数々の番組が放送された。



当時、単独スポンサーで有名だったのは、

「当たり前田のクラッカー」の前田クラッカー。牛乳石けんの「シャボン玉ホリデー」

月光仮面から始まり、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンと続いた「タケダアワー」など。



不二家の時間はオバケのQ太郎が最高視聴率36.7%を記録、

その後、パーマン、怪物くん、青空に飛び出せ、サインはVと続く。

藤子不二雄マンガの人気は絶頂、

その後のピンキー&キラーズ主演の青空に飛び出せは少々コケた感もあったが

サインはVで不二家の時間は人気のピークを迎える。



前年からの大ヒットドラマ「サインはV」

最終回では范文雀が演じるジュン・サンダースが骨肉腫(こつにくしゅ)という病気で他界、

「ジュン・サンダースが死んじゃったよ!」と世間は悲しみにくれた。

平均視聴率32%、最高視聴率は最終回の37.4%、

テレビ局にはジュン・サンダースへの弔文電報が殺到したそうである。






今になって思い出してみると
メイクがかなり不自然だったジュン・サンダース(一番左)




この時期、どのような番組が放送されていたのか、

日曜日を例にあげてみる



午前は

米コメディの「ルーシー・ショー」

パンナムがスポンサーで旅番組の先駆け「兼高かおる 世界の旅」



昼は

「レッドスネーク!カモーン!、あら?今日はレッドスネークお休みね」

「あー、やんなっちゃった♪」などでおなじみの日曜寄席。

「10万円、7万円、5万円、運命の別れ道!」いとし・こいしのがっちり買いまショウ。

てんやわんや司会の家族そろって歌合戦。



6時を過ぎると

てなもんや三度笠の後番組で てなもんや二刀流、

ハクション大魔王、シャボン玉ホリデー、サザエさん。



7時台に入り、

JALのスチュワーデスが急階段を昇って

10問正解者に商品を渡すのが見所だった!?アップダウンクイズ、

アタックNo.1、タケダアワーは柔道一直線

記憶に残る数々の名番組が放送されていた1970年である。



ちなみに関東地区の平均的な家庭の場合は、6時から てなもんやの藤田まこと&白木みのる、

6時半からはシャボン玉ホリデーの植木等で大笑い。

7時からタケダアワー、7時半から不二家の時間を見て子供は8時に寝るのが決まりであった。

いま思えばこの日曜7-8時の時間帯は当時の子供にとってはゴールデンタイム中のゴールデン、

週の中で最もテレビの前にかじりつく時間帯であったと思う。

 オバケのQ太郎→ウルトラマン

 パーマン   →ウルトラセブン

 柔道一直線  →サインはV

いずれも超高視聴率の番組ばかりであった。










そんな中、大人気番組 サインはVの後番組となったのがアテンションプリーズ。

裏番組には強敵「ムーミン」が控えていた。

職業根性ドラマというジャンルもスチュワーデスが主役になるドラマも初めてである。

フタを開けてみれば最高視聴率は30.3%、平均視聴率は28%、

スチュワーデス志望者は急激に増え、スチュワーデスのイメージもさらにアップ、

憧れの職業=スチュワーデスという図式が完全に浸透した。

それほどまでにアテンションプリーズが与えた社会的影響は大きかった。



36年後にリメイクされるほどの名作ドラマとなったわけだが

これは当時の航空事情に伴う日本航空の全面的なタイアップ、

原案、脚本はもちろんのこと、主役の紀比呂子のキャラクターなど

高評価に値するものが揃ったからこそ、秀作となったのではないかと考える。






アテンションプリーズの記者発表
マイクの前に立つのは主演の紀比呂子




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2007.5.19