'70 アテンションプリーズ研究
ロケ地 探訪
〜鹿児島編〜
東京近郊以外の国内で、唯一ロケが行われたのが鹿児島である。
今回はそのロケ地を徹底分析するとともに、遠路はるばる鹿児島まで出向いたので
関連する様々な情報も紹介したい。
英語の試験に落ちた美咲洋子(紀比呂子)。
スチュワーデスになろうなんてやっぱり私には無理だったんです。弱音をはく洋子を三上教官(佐原健二)が慰め励ますのだが、
と自身を否定し落ちこぼれぶりを発揮。これは後年のスチュワーデス物語の展開と同じである。
励ます教官と落ち込む訓練生、職業根性ドラマの基本形とも言えるやりとりだ。
そんな中、父(藤田進)が亡くなった洋子の母の実家がある鹿児島で病に倒れる。
洋子の実家は佐賀の山奥なので本来はロケ地としては佐賀が自然な流れなはずなのだが・・・
佐賀には当時空港はなく、また観光名所となる場所もほとんど無かったことから
日本航空をスポンサーとする上でのロケ地としては不十分であったと予測。
ならば最初から美咲洋子の出身地を鹿児島にしておけばよかったろうに、
とツッコんでみるのだがこれにはどうやら理由があったようだ。
当時の日本航空社長は松尾静磨氏。佐賀県武雄出身、まさに佐賀の山奥の出身である。
創世期の日本航空の要だった人物であることから、制作者側が日本航空に対して気を使った結果、
社長の出身地=美咲洋子の出身地となったのではないか、もしくは佐賀の山奥から出て、
世界一を目指すというのは松尾社長自身の思いだったのかもしれない。
当時、鹿児島の空港は市内にあった。
第11回放送オープニングの局が終わって最初のカット、鹿児島市内をカメラがパンするのだが
その始め、よーく目を凝らすと画面右上に広がる敷地、それが「鴨池空港」
中心地の西鹿児島駅までは車で10分程度、昔の広島空港に似ていて、
海沿いに滑走路があり、ジェット機の就航にあたっては騒音や滑走路の短さが問題になっていた。
第10回の放送、
スチュワーデスをやめる決心を伝えようと美咲洋子が入院中の父を見舞い、
看護婦と父の会話をドア越しに聞いてしまうシーン。
「ワシの娘はスチュワーデスになれる素質がある。ぜったいになれると確信しておる。」
それを聞いて涙を流す洋子。病院を飛び出し、ふと商店の軒先を見るとJALの
飛行機のおもちゃが飾ってある。そして空を見上げるとB727が飛んでいく姿が・・・
あれっ?よく見ると全日空機ではないか!?
なぜ日本航空がスポンサーの番組にANA機が飛んでいるのか!?
その理由は当時「45-47体制」と言われた運輸省の方針によるもの。
つまり国際線と国内主要幹線は日本航空が受け持つ。
国内幹線と主要地方線は全日空、地方同士を結ぶ路線は東亜国内航空、
このように各路線の受け持ちが決まっていた。
昭和45年、JALが飛んでいた国内線は、
東京、大阪、札幌、福岡、沖縄の各地を結ぶ幹線のみ。
東京ー鹿児島に就航していたのは全日空のみで
JALがこの路線に就航するのは1978年になってからである。
しかし第11回の放送では空を見上げるとJALのDC-8型機が飛んでいたりもする・・・
スポンサー以外の飛行機を映すのはいかがなものか、と思うが
当時のJALとANAの格差は歴然。半官半民会社であり、
ナショナルフラッグキャリアとしてドーンと構えるJALとしては
その程度のことは気にしていなかったと思われる。
というわけで当時は1600mの滑走路を持つ鴨池空港に
全日空のボーイングB727型機が就航していた。
話が少々横道にそれたついでに紹介をしたいのだが
この鴨池空港の跡地、現在では高層ビル、マンションが立ち並ぶ地区。
その場所に当時の空港ターミナルビルと格納庫が現存する。
英語の面接試験に落ち、追試験を控える美咲洋子。
そんな洋子のもとに鹿児島の叔母から父倒れるの知らせが届く。
父からは「一人前のスチュワーデスになるまでは帰ってくるな」
と言われていた洋子は鹿児島に行くことを迷う。
ましてや追試験を控えているこの時期に訓練所を離れると
ますます自分だけ取り残されてしまう。
父との約束、追試験・・・迷う洋子に同期の田村早苗(范文雀)、広村綾子(高橋厚子)らは鹿児島にすぐに行くよう説得、
最後は三上教官(佐原健二)に諭され、鹿児島に向かう決心をする。
飛行機で一路鹿児島へ。機内では隣席の外国人に話しかけられるが
英語が理解できずまたも落ち込む洋子。
先輩スチュワーデスの姿を見て、ますます自信を無くすのであった・・・
鹿児島到着。桜島と鹿児島市内をパンするこのシーンにも微かに鴨池空港が映っている。
タクシーに乗り、父のもとへと向かう洋子。路面電車が走り、街路には椰子の木が並ぶ南国・鹿児島。
車窓シーンでは街の様子が紹介される。
2008.9.27