'70 アテンションプリーズ研究



1970年(昭和45年)時代背景

〜日本航空〜








美咲洋子の初フライトは第18回放送の東京ー福岡線。

国際線の初フライトは東京ーホノルル線でB747での乗務であった。

この時代、日本航空はどのような路線や機材があったのかを確認してみよう。



国際線はJALが独占。

国内線の場合、幹線はJAL、準幹線はANA、ローカル線は東亜航空と国内航空。

というように完全に分かれていた。45・47体制と言われるものである。



JALの国内線は、

・東京ー大阪

・東京ー札幌

・東京ー福岡

・東京ー名古屋

・東京ー沖縄(本土復帰前だが扱いは国内線)

・大阪ー沖縄

・大阪ー福岡



現在と比較し路線の少なさに驚かれるかもしれないが

国内線は収益率の高い主要幹線のみを飛び、国際線は独占。

JALは日本を代表するエアラインでナショナルフラッグキャリアという位置づけである。



国際線の就航地は、

ホノルル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、バンクーバー

アンカレッジ、パリ、ロンドン、コペンハーゲン、ハンブルグ、

ローマ、カイロ、ベイルート、カラチ、ニューデリー、カルカッタ、

バンコク、シンガポール、台北、マニラ、シドニー、グアム。



ヨーロッパや中近東の路線が多く、1970年以降も続々と就航都市・路線が増えていった。

1970年は大阪万博で弾みがつき収益も過去最高、

JAL黄金期の始まりの年といってもいいかもしれない。



この年の1月にはパンナムのB747がニューヨークーロンドン線に初就航、

3月には太平洋線に就航、東京に姿を現した。

羽田空港にはジャンボ機見たさに観光客がどっと押し寄せる。




パンアメリカン航空 747の1号機



大型機材を導入しないと客を奪われるため、JALも747の導入を決定、

1970年4月に1号機を受領、1970年7月から東京ーホノルル線に就航した。

2号機は5月、3号機は6月に受領、計3機のB747が太平洋線を飛ぶ。



アテンションプリーズの映像は航空マニアにとってはお宝もの、

一般の視聴者にとっても非常にめずらしいものであったに違いない。

・3月に完成した穴守稲荷の乗員訓練センター

・7月に路線就航したB747ジャンボジェット機

・7月から着用が始まった森英恵デザインの新制服

放送開始は8月、すべてが新しいモノづくしである。



スチュワーデスを主役に置いたドラマは本邦初、

ロケ地も日本航空の本物の施設を使い、飛行機も頻繁に登場するドラマは初めて。

これらは日本航空とのタイアップで実現したもの。

ジャンボ機や新制服で大々的に宣伝をしたいJALと

制作者の東宝・TBS側の意向が一致した結果である。



日本航空は前年からジャンボ機導入のための宣伝費として

当時としては破格の2億5千万円を投入している。

3月にパンナムのジャンボが太平洋線に就航、

これに対抗するため国内、海外のテレビ、ラジオ、雑誌、新聞で

「太平洋線 最大便数のJAL、利便性ならJAL」を宣伝するためで

この宣伝戦略の延長線上に乗ったのがTBSとの番組タイアップであった。




便数、利便性を宣伝していた当時の広告







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2007.5.19