'70 アテンションプリーズ研究



ロケ地 探訪

〜日本航空 芙蓉寮〜




寮のおばさん(千石規子)。画像をクリック



上京した美咲洋子が暮らすのは日本航空の芙蓉寮である

東京暮らしの南洋子や香川妙子は自宅からの通勤、

地方出身の訓練生たちは寮に入っていた



「日本航空 芙蓉寮」は東京・世田谷区上野毛にあった

ドラマの中での名前かと思いきや、同名の寮は実在。



(2010.1.20 加筆訂正)

この建物は1968年に日本相互銀行の研修所として建設されたことが判明。

その後、日本相互銀行は太陽銀行→太陽神戸銀行→さくら銀行となるのだが

日本相互銀行とさくら銀行が研修所として使用していたことは確認、

ベッドや浴場などホテルと同等の設備を備えていた。

太陽銀行時代に日本航空の寮として使われた可能性もあるのだが

その点を現在調査中。



いまでこそ東京・世田谷区と言えば高級住宅地というイメージであるが

昭和45年当時、周囲は田畑ばかりで農家も点在するような土地柄。

何も無い場所であった

土地が安かったがために航空会社は土地を買い、寮を建てる

そして高騰した時に売り飛ばすというパターン。

これは今も昔も変わらない



アテンションブリーズ以外に日本航空の寮でドラマの舞台として使われたのは

スチュワーデス物語に登場した大田区の西嶺寮、

トップスチュワーデス物語の成田・加良部東寮があった

スチュワーデスが高待遇だった時代は福利厚生面も当然ながら厚遇、

しかしスチュワーデスが契約制となった今、日本航空も全日空も

あらゆる面でリストラを行っており「スチュワーデスの寮」はすべて売却され

存在していない



日本航空 芙蓉寮が登場するのは第1回から第23回の放送まで。

国際線の見習い乗務が終わり、訓練生から"スチュワーデス"に昇格すると

今度は東京・大田区の西嶺寮へと引っ越す

当時の日本航空では神奈川県横浜市の青葉台寮が訓練生のために用意されていた

こちらは羽田まで約1時間半、訓練生にとって通勤は大変であったろうと思う



さて舞台となった日本航空 芙蓉寮。現在は残念ながらは売却され跡形もない

建物は1990年代まで「さくら銀行 研修センター」として使われていたが

現在は民間のマンションに建て替えられてしまい、

当時を偲ぶものは周辺の景色くらいである






寮のロビーで くつろぐ訓練生。画像をクリック



芙蓉寮のシーンでロケに使われたのは建物の外観と玄関である

美咲洋子の部屋、寮の廊下、みんなが集まるソファのあるロビー、

千石規子演じる寮のおばさんの部屋、

これらはすべて世田谷区砧の東宝撮影所のセットが使われている



部屋は二人でひと部屋。プライバシーが・・・とやたら言い出す現代とは違って

高度成長期では一家5人で六畳一間に暮らしていた家族もめずらしくない

当時は困った時や悩んだ時、落ち込んだ時に友人がそばにいてくれるのは

心強いと感じる訓練生が多かったらしい






寮の部屋で毎晩必死に勉強をする美咲洋子



アテンションプリーズの原案は上條逸雄

訓練はもちろんのこと、寮暮らしについてもかなり詳しく取材をして

脚本を書いたと思われる



第25回の放送、パイロット訓練生の堤クンからの手紙を心待ちにし、

寮玄関にある郵便受けを見て自分宛の手紙が来ていないか確認をする美咲洋子。

携帯やメールのある現代とは違い、当時の通信手段は手紙と電話のみ。

スケジュールによっては お互いにスレ違いとなる事が多いために

スチュワーデスは頻繁に手紙を書く習慣があった

郵便受けの手紙を発見するも堤クンからではなく

「なーんだ、お父さんか・・・」というシーン。

まったく同じ経験をしているスチュワーデスも多かったはず。



手紙のシーンもそうだが寮の中でのスチュワーデスの生活が

非常にリアルに描かれてるのもアテンションプリーズの特徴

これらは原案・脚本を書いた上條逸雄の取材力がすべてであろう

人間関係の悩み、仕事の悩みなどを寮に住む訓練生同士が互いに

助け合って解決していく様子が非常によく描かれている

そして全般的なドラマの作り、根本的な方法というか流れとしては

訓練センターでは"厳しさ"を、寮では"優しさ"を

意図的にメリハリをつけて表現しているのではないだろうか・・・



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2007.9.9