'70 アテンションプリーズ研究



ロケ地 探訪

〜 東宝砧撮影所 & 佐原健二 〜





アテンションプリーズのスタジオ撮影が行われていたのは

東京・世田谷の東宝砧(きぬた)撮影所。

訓練所教室のシーン、寮の部屋などがスタジオ撮影だった。

具体的にどのスタジオでいつ撮影されたかは調査中なるも

今回は何となく撮影所を紹介・・・



東宝撮影所は小田急線の成城学園前駅から徒歩だと約20分くらい。

今でこそ通勤圏で高級住宅地だが開所当時は周囲は雑木林と田んぼだらけの田舎。

七人の侍などの黒澤明作品、本多猪四郎と円谷特技監督のゴジラシリーズ・・・

1960年代からはウルトラQなどのテレビ作品も撮影されていた。

60年代後半になると映画業界は衰退、製作本数も年々減る。



一方、一般家庭へのテレビの普及は急速に進んでいった。

1971年には東宝スタジオと改名、俳優や監督を丸抱えしていた撮影所形式は消滅し、

テレビ番組製作が主体になっていく。アテンションプリーズはそんな時代に撮影されていた。




東宝スタジオの場内地図。画像をクリック



数々の名作を生み出してきた東宝撮影所。

1954年の「ゴジラ」初作、監督は本多猪四郎に特技監督として円谷英二、

「空の大怪獣ラドン」は当時の特撮映画としては画期的で怪獣映画の

人気をより確実なものとした。

特撮映画の主役は怪獣ではあるが、人間側の主役は佐原健二。

佐原健二は東宝ニューフェイス9期生として入社、

同期には岡田真澄、宝田明、藤木悠。1954年に「さらばラバウル」でデビュー、

その後は特撮映画には欠かせない俳優となった。



ゴジラやモスラなど怪獣映画以外でも

「美女と液体人間」など人気が高かった怪奇映画、喜劇から戦争モノ、

二枚目に悪役、脇役から主役まで、東宝の名俳優として活躍していた。

ちなみにゴジラ全作品に出演している俳優は佐原健二だけである。

「マタンゴ」では悪役の雰囲気を出すために自らのアイデアで前歯を抜歯するという徹底ぶり。

まじめで研究熱心な俳優であることに間違いないと思う。



佐原健二はアテンションプリーズのレギュラー出演者の中では

最も知名度の高い俳優であろう。

美咲洋子たち101期生を担当する三上隆教官の役もピッタリ。

佐原健二と言えば何といっても「ウルトラQ」の万城目淳役が印象深い。

ウルトラシリーズ初作のウルトラQはTBSと円谷プロが力を入れたテレビ映画。

テレビの時代を切り開くべく全力を投じた作品だけに

主役に佐原健二が抜擢されたのは当然の流れかもしれない。



ウルトラQの大成功の後に佐原健二がレギュラー出演するのは

アテンションブリーズが初めてだった。

佐原健二はこの時38才。教官役のように女優陣を指導していたのでは?

と想像したが実際は「范文雀さんがうまくリードしてくれて

和気あいあいの現場だった」

(素晴らしき特撮人生 佐原健二著 小学館)




教官役は佐原健二。画像をクリック



ウルトラQでは特撮に大予算が割かれたために通常のロケは

原則的に日帰りで苦労が多かったらしい。

アテンションプリーズではハワイやパリなど、

さまざまな国にロケに行ったのでとても楽しい経験をしたとのこと。

今では海外ロケなど普通だが当時はよほどのことがない限りは

海外ロケなど出来なかったと思われる。

日本航空のタイアップがあり、何といっても主役がスチュワーデスであったことが

海外ロケが必然となった理由であろう。

憧れの海外=憧れのスチュワーデスという図式ができたのは

アテンションプリーズの影響が大きかった。





映画スターは撮影所の近くに住んでいるのが普通だった時代。

紀比呂子の住まいも成城。当時の雑誌によると撮影所までは車で通っていたらしい。

愛車はニッサン・サニー





范文雀の写真だが車種はなんだろう。もう一枚は紀比呂子。

撮影用の車だろうか、ナンバープレートが丸見え。







佐原健二の車は白のMGのオープンカー。撮影所へは車で通っていた。

駐車場で車を止めている佐原健二。その様子を見た黒澤明監督が怒った。

「誰だ!あの車の乗ってる奴は。生意気だ!ちよっと呼んで来い!」

三船敏郎と同じ車に乗っているというのが気に障ったらしい。

本多組の佐原健二ですとスタッフが教えると、

「なんだ、イノさんのところの俳優じゃ しょうがないな」

黒澤監督と三船敏郎、黒澤監督と本多猪四郎監督の関係が垣間みれるエピソードである。

三船敏郎、東宝撮影所にて



スターたちが闊歩していた当時の撮影所に行ってみたかった。





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2012.5.5