'70 アテンションプリーズ研究



ロケ地 探訪

〜鹿児島編〜




英語の試験に落ち、追試験を控えている時に父が倒れる。

落ち込んでいる時に更に困難が襲いかかり二重苦、三重苦という展開。

今では当たり前のようなわかりやすいストーリーではあるがアテンションプリーズにおいて

スチュワーデスドラマは元より、職業根性ドラマの基本を作ったとも言えるのが脚本家の上條逸雄。

追試験、訓練所離脱などというケースは実際の取材からヒントを得たのではないだろうか。



たいしたことはないから東京に戻れ、入院はしないと言い張る父であるが

血を吐いて倒れ、どうやら胃ガンの疑いもある。

父が重病であるならスチュワーデスになるのをあきらめ、このまま看病を続けようと思う洋子。

洋子が訓練所に戻ることを約束するなら、その代わりに入院をすると言う。

東京に戻ると約束をし、父が入院したのは「鹿児島大学病院」

現在は建て替えられ、鹿児島医療センターになっている。

この敷地は薩摩藩の"私学校"があった場所。私学校は西南戦争のきっかけとなった。

それではここで私学校について詳しく解説をしよう・・・

・・・なんて訳はなくて、詳しくは幕末について書かれているサイトなどで調べて頂ければと思う。

なんせ幕末の情報量は膨大で省略して書くにも大変・・・






鹿児島医療センター。画像をクリック



神主の娘である洋子はやたら拝むクセがある。

叔父と病院を出た洋子。西郷隆盛の銅像の前まで来ると思わず西郷さんに手を合わせる。

西郷さんに変わりはないが周囲は近代的な風景へと変化していた。




西郷隆盛銅像。画像をクリック



父の病気が治るよう西郷さんに拝んでいると、いとこで高校生の春子ちゃん(深沢裕子)が走ってくる。

洋子と会えて大喜びの春子ちゃん。二人は城山へと向かう。

桜島と鹿児島市内が一望できる城山展望台、桜島を見ながら春子ちゃんがたどたどしいながらも歌を詠む。


「我が胸の燃ゆる想いに比ぶれば煙は薄し桜島山。」


時代を変革させようと強く心に抱いた薩摩藩士が詠んだ歌である。

桜島を見て情熱を燃やし負けまいと思うけど私はダメ。と自信のない春子ちゃん。

でも国体で優勝してスチュワーデスの試験に受かった洋子を目標にしているという。

春子ちゃんにとっては自慢のいとこである洋子。しかし洋子はその期待とは裏腹に

父の看病のためにスチュワーデスをやめようと決心をする。

城山展望台での第10回放送のラストシーンである。



テレビであれ、映画であれ、鹿児島でロケをする限り、必ず登場するのが桜島。

パリではエッフェル塔が映るように、築地市場ではマグロが必ず映るように、

鹿児島の紹介シーンに桜島は欠かせない。

アテンンションプリーズの放送当時、新婚旅行のメッカだったのはお隣の宮崎。

自由化されたとはいえ、海外旅行はまだまだ庶民には手が届かない価格である。



国内ロケであってもアテンションプリーズの撮影には莫大な費用がかかったと思われる。

JALが就航している路線であれば"タイアップ"で旅費はタダになるだろうが

実際の鹿児島までの交通費は膨大だったはず。

当時の日本映画やテレビの制作状況全般も含めて推測するに、

出演者はスケジュールの都合で全日空、スタッフは予算の都合で国鉄で移動したのではないだろうか。

いずれにしても鹿児島ロケはかなりの予算をかけた撮影だったことが想像できる。






画像をクリック。



新婚旅行は宮崎の青島から始まって鹿児島・指宿温泉へと回る旅などが人気だったらしい。

南九州は遠く、南国ムード溢れる憧れの地、現代の海外リゾートと同じ感覚であろう。

第11回の放送、洋子が桜島を見ながらつぶやく。



「昔の人は立派だったわね。こんなに遠く、江戸から離れたところから志を抱いて・・・」



まさにその通り。江戸時代に限らず、鉄道が主な移動手段だったこの時代でさえ、

東京や大阪からみると鹿児島はとても遠い場所。

当時の新婚カップルやアテンションプリーズの撮影スタッフ・出演者たちも

南の果て、南国鹿児島でリゾート気分に浸っていたに違いない。

国内旅行でさえ贅沢だった時代、テレビの前の視聴者に観光都市である鹿児島を紹介すべく、

各シーンに名所名跡を盛り込むのは当時のドラマの基本的なスタイルでもあった。




城山展望台へと向かう道。画像をクリック



鹿児島中心部を流れるのは「甲突川」

川にかかる多くの橋の中には1800年代に建設された貴重な橋もある。

第10回放送で病院に見舞いに向かう叔母(町田博子)と一緒に橋の上を歩く洋子。

この橋は甲突橋。現在は新しいものに架け替えられ近代的な橋になっている。



橋を歩きながら叔母が「あそこが春子の通っている高校よ」と指さすのだが

だいたいドラマでカットが切り替わる際にはまったく別の場所でロケをしているケースが多い。

つまり橋の上でのシーンと高校でのシーンはまったく離れた別の場所であっても、

極端に言えば、橋を鹿児島で撮り、高校を東京で撮ったとしても、

編集上でこの二つのカットをつなぐと、さぞ同じ場所にあるようにシーンが出来上がる。

これは映画でもテレビでもごく普通にやっていること。

そんな懸念があったので間違いのないよう慎重に調べてみた。



校庭では女子生徒が体育の授業中、叔母と洋子は校門の前で立ち話をしている。

門柱に高校の看板があるがどうやっても読み取れない。

さて、どうしたものか・・・

画面をよく見るとコンクリート作りの校舎と古い校舎が並んでいるのがこの高校の特徴のようだ。

校門と校舎、校庭の位置を念頭に置きつつ、航空写真から高校の場所を調べることにした。

1970年の航空写真は無く、撮影から4年後の1974年の航空写真を見てみた。

しかし同じ配置の高校は存在せず。ひょっとして小中学校かもしれないと思い、

調べてみるもどうやら違う様子。

甲突橋のそばに学校があるのだがこれもまったく校舎などの配置が違っている。

さて困った・・・とりあえず現場に向かうしかないと思い、甲突橋へ。




鹿児島中心部を流れる甲突川。画像をクリック



鹿児島編2では第11回放送分に登場する日本庭園と"旅館 白雲荘"を紹介。



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2008.9.27